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日本アラブ青年対話 その意義と成果 

 2007年10月30日から11月7日の期間に、国際交流基金助成の「日本・アラブ青年対話」招聘事業を実施した。日本中東学生会議(Japan Middle East Student Conference, 以下JMESC)にとっては、毎年夏に中東各国で行われる現地会議と対をなす事業として、昨年度から引き継いだものであり、二度目の経験となった。今年の夏会議で訪れた国は、アラビア半島の湾岸地域と内陸部を合わせた6ヵ国にのぼり、そのうち特に日本への関心が高いイエメン・シリア・ヨルダンの3カ国から2名のアラブ人を日本に招聘した。「なぜ日本に興味があるのか」、「日本に来た経験をどのように帰国後生かすのか」の設問に答える形で応募文書を提出してもらい、そのうち今回の討論テーマにふさわしい人材として、シリア・ヨルダンからあわせて二名の参加を決定した。プログラム詳細は中東からの参加者の感想に詳しいため、ここでは事業終了にあたり、今年度の準備段階での事業目的を含めて振り返り、改めて学生主体の「対話」事業の意義を考える機会としたい。


事業実施の経緯


 JMESCは設立された1992年以来、中東諸国の青年らと中東の地で文化交流を絶やすことなく続けてきた。しかしながら、それは日本人が中東諸国に訪問するのみの、いわば一方通行の交流であった。転機は2006年、「交流の基本は双方向」という信念のもと、日本へのアラブ人招聘を開始する。きっかけは、毎年多くの方の協力の下、学生時代の貴重な時間を費やして得られた経験を、団体内だけに留めるのはもったいないという自己反省からであった。実際は、夏会議の終了後必ず一般公開の報告会を開いてはいたが、報告会の聴衆はお世話になった方々と数名の学生という状況が常であり、広がりのなさを感じていた。さらに、いくら日本人の口から中東地域での交流体験談を聞いても、限られた時間内で話されるそれは、話者個人の心象に基づき無理矢理言語化された“中東イメージ”でしかない。また、未だ日本において馴染みの薄い中東を日本社会に伝えたいという純粋な思いとは裏腹に、我々が中東の文化や宗教、そして人々について語る行為は、まさしく言語による“中東”の囲い込みに他ならないのでないか、という危惧を抱いていた。そのような現状を打開したいという思いが、この招聘事業開催の契機となっている。以上の問題意識を持って、2007年度の事業目的は、日本人がイメージしがちな「アラブ」とは異なるアラブ地域・社会の一面を、アラブ人自身の言葉を通して、日本社会に示すことにまとめられた。この目的に沿う形で、アラブ社会の宗教の多様性と、固定観念の形成に大きな役割を担っていると考えられるメディアをテーマとした一般公開討論会を行った。


「対話」の意義

 2007年度招聘事業は、日本人に向けた“中東・アラブ”の新たな一面の提示を目標とした。しかし、この目標設定は世界一般で受けとめられている中東地域特有の問題の存在を知りつつも、あえて他の側面に焦点を当てたこととなる。事実、日本政府が「文明間対話」を実施していることからもわかるように、どうしても中東は特定の問題を前提とした特殊な文脈中で語られてしまうのである。はたして今回のJMESCの議論の提示は、社会的関心の中心から距離をおくがゆえに、結果として社会的貢献とはほど遠いものとなってしまったのであろうか。
 ある問題への対処法としての「対話」を考えるとき、その最大の効用は、自己の相対化による他者との対立の未然防止が考えられる。実は多くの対立構造を備えた現代社会の問題が(市民レベルであれ国家レベルであれ)、相手の意図がわからないがゆえに、事態を悪化させることは少なくない。そこには、問題に対処するにあたり、自己保身ゆえに必要以上に相手を脅威として見積もる人間の傾向性を指摘できる。その人間の特質が対話の不在に刺激され、決定的な相互不信を招くことは、日米開戦や冷戦期の東西対立が示すとおりである。

 一方主張が異なる場合や、あるいは全く問題とは無関係と思われる対話でも、相手の思考法や慣習などを知ることを通し、問題における相手の意図をある程度推量できる状態まで持っていくことができたなら、自己の殻に閉じこもることなく妥協点を探ることが可能である。問題の未然防止が図られるのである。ここに、問題発生以前から対話をする必要性が認められる。さらに、日常的な対話はその継続に意義を見いだすことができる。問題の状況が対話によって劇的に好転しないように思われても、対話を止めて状況が悪くならない保証はない。したがって、恒常的かつ継続性のある対話こそ重要である。また、さきに述べた問題の未然防止という対話の作用は、将来的な予測にもとづきより良い状況を作り出そうとする点で顕著である。よって市民社会的対話の継続は、未来社会に対する各人の責任を認識する意味を持つとも考えられる。


 ホセ・ヨンパルト氏によると、責任とは、以下の3点において認められる概念である。第一に、少なくとも社会秩序形成レベルにおいて認められる人間の自由意志の存在。さらに、責任は他人に迷惑をかけた時点で発生するものであるから、他者の存在が必要条件となる。そして、「これはやってはいけない事である」という広範な社会的規範があることも、必須条件である。なぜなら、基準なくては他者に対する「迷惑行為」は判定ができないからである#。この責任論に照らし合わせるならば、今年度のJMESC事業は、創設以来の夏会議と昨年度招聘事業の対話プロセスの継続を目指し、強力な自由意思によって計画実行されたといえる。さらに、日本社会に向けて自ら(英語という他言語を介してはいるものの)語る機会を得た「アラブ人ムスリム」という他者にとっては、初めて異質な他者が大勢を占める社会の、個々人の意思に委ねられた規範の存在を目の当たりとする時間となった。また、多くが宗教的に相対化された社会に暮らす日本人にとり、絶対性を説くイスラームの教えとそこから生まれる倫理観と接触する機会であった。両者が共有した時間は、自己という枠の拡大促進にとどまらず、自己と社会との関係性を問い続けていくことの重要さを再確認する機会でもあった。そして、主催者である日本人学生も、参加者としての招聘アラブ人も、ささやかながら将来への市民社会的責任を果たすことができたのではないか。事業を終了して感じたことである。


結びにかえて

 今回の招聘事業をふまえて、学生団体としての在り方に付言する。グローバル化の進展する現代にあって、市民レベルでの対話の意義を完全に否定する主張が正当性を得られるとは考えにくいが、日本社会のように無批判でその価値を受け入れる事も望ましいとは思わない。JMESCに関しては、団体の外から見た時に活動情報の発信力が弱いため、得体の知れない組織であり誤解にもとづいた手厳しい批判をいただくこともある。つまり、外部の他者に対して我々の意図することが十分に理解されていないことが現状であり、JMESCという団体自体が、その社会的責任を果たしきれていないのである。
したがって、少しでも多くの方に今まで以上に活動への理解を得るために
1、 自己満足に陥る事なく、持続的な活動チェックをする構造を設ける
2、 活動の社会的理解を得るため、社会への発信性を高める
ことが今後の継続的活動の中で求められていく。これらもまたJMESCに課された「責任」であると考える。また、いかに学生が強固な「自由意志」を持っていようとも、現実として学生の活動には限界がある。今回の事業実施にあたり、我々の活動に理解を示していただいた多くの方々により、JMESCは存続していることを改めて感じることとなった。同時に若さゆえに援助者の方にはご迷惑をおかけしたこともまた事実である。この場を借りて至らなかったことへの謝辞と大きなご支援に感謝申し上げる。

参考文献: 

ホセ・ヨンパルト『道徳的・法的責任の三つの条件』2005年 成文堂

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Five Wings2008

社会人の公演や五つの様々な国際交流学生団体のブース展示。

日時:2008年4月27日13:00~18:00

場所:神奈川県横浜国立大学
主催団体:Free Bird、FIWC、日本ケニア学生会議、横浜中国人留学生会、日本中東学生会議(順不同)

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