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2006年度会議報告


2006年8月、私たち日本中東学生会議は1ヶ月に渡ってアラブ首長国連邦(1回目)・オマーン(1回目)・イエメン(1回目)シリア(6回目)・ヨルダン(3回目)・イスラエル(11回目)の6ヶ国を訪れ、現地の学生たちと会議を開催しました。

各国ではそれぞれスルタン・カブース大学
<サナア大学 、イエメン日本友好協会、アレッポ大学日本センターヨルダン民主文化委員会、ヨルダンにある日本の国際開発機構の日本語教室に通っている学生、ヘブライ大学の学生とディスカッション、フィールド・トリップ、ホームステイ、ディナー・パーティーなどを行い、交流を深めました。また、イエメンでは地元紙の取材を受けました。  行われたディスカッションのテーマは「日本メディアの現実 ~日本記者クラブの視点から~」「中東における日本外交政策」「文明の衝突」の三つです。ここではそれぞれのテーマのプレゼンテーション担当者の感想と、各国の会議を終えてのメンバーのエッセイを一部公開します。

<なお、これらの情報を含んだ完全版の報告書をご希望の方はまでご連絡ください


目次:

メディア:「ディスカッションを通じて見える各国のメディア観」(小西絵美)

中東外交:「中東から見た日本」 (小山剛)

文明の衝突:「中東と宗教」 (松本足度)



メディア:「ディスカッションを通じて見える各国のメディア観」(小西絵美)

 このトピックにおける私達、日本側からのプレゼンテーションは、日本記者クラブを軸としたメディアの実態を理解してもらうことに重きを置いた。7月27 日にヘイターン編集長にインタビューさせていただく機会があったが、その時に彼の口から「中東のメディアに比べれば日本のメディアは自由な報道権が保証されている」という意見を聞いた。だがしかし、日本人である私たちにとってみれば、各報道機関と政府、または経済、スポーツ、芸能などの分野における各界上層組織・企業との関係が"報道大国日本"を象徴しうるものだと素直に納得することは難しい。今回の記者クラブを中心としたプレゼンを通じて、日本メディア界がまだまだ拭えきれていない政府との関係を各国に伝え、各国の反応を受け止めると同時に、各国のメディア事情を学ぶことができた。ここで一つ言及しておきたいことは、私達の当初の予定よりもはるかに国によって異なった反応が見られた点である。そこで、ここでは各国のディスカッションの流れと共に私達の感じた「シリアのメディア観」、「ヨルダンのメディア観」、「イスラエルのメディア観」を綴る。
  シリアでは、日本メディアの持つ閉鎖的側面にさほど驚いた様子は見られなかった。自国の主要テレビチャンネルが2、3しかないシリアの中では、情報が政府と結びつくことが不可避である現状をすんなりと受け入れられた感覚を覚えた。ただ、私達が記者クラブメンバーの対極に位置づけたフリーランスといった概念に関して言えば、まだまだ認知度が低かったと言える。政府から与えられたニュースをただ伝えることを嫌い、自身で情報を集める記者はいるものの、公共の場に彼らの存在が伝わることは少ないという。そのせいもあってか、私達からの「記者は政府をどうコントロールできるか」という問いかけに対しては、明確な答えを得ることができなかった。そしてこの後いまやアラブ世界最大のテレビ局、アル・ジャジーラの賛否に話が移る。日本メンバーの一人がアル・ジャジーラによる報道を信じるか否かを質問すると、アル・ジャジーラ絶対主義派、反対派、どちらともいえない派にきっぱり分かれて議論が白熱した。絶対主義の人はアル・ジャジーラがブッシュに対抗できる唯一の手段であると言う。反対派は彼らが事実を伝えていない、報道は政治的な意図を抜き、事実を明確にすることを目的にすべきであると非難する。そして国民にメディアリテラシーがあれば何の問題も無いと指摘する人もいる。こんな意見が30分ほどぶつかり合った。シリアにおいてアル・ジャジーラのことを話題にすることは、現在のブッシュ政権と中東世界の関係を話すことと同じくらい議論を呼ぶものであると感じた。
  ヨルダンでは私達の予想とは全く異なった議論の展開であった。まず、マスメディア界で働いていない人はニュース、新聞等にむける関心が低いのである。私達の交流した相手方は、ほぼ全員が流暢な英語を話していたし、話の内容・積極性から言っても博識な人は多かった。だが、そんな人たちにとっても毎日新聞を読み、ニュースを見ることは稀であることを知った。そして日本メンバーの一人が「時事問題に関する情報に触れずに、どうやって自分の考えをリフレッシュさせるのか」という質問を投げかけた。世界の情勢は毎日変わる。新しい情報が自分たちの考えを触発しうるのに、どうしてその機会を生かさないのかといった意図の質問であった。この質問には以下のような答えが返ってきた。①ニュースで報道される内容のほとんどが戦争等、悲惨なものばかりであるため、目を背けたくなってしまう。②最新の情報についていく意義が見出せない。③自分たちは何にも動じることの無い、"軸"を持っているから、新しい情報は自分にとって役立つものとはなり得ない。この②と③は、私たちに「こういった考えが人々の考えを凝り固まったものにしてしまい、対立している相手との対話を難しくしてしまっているのではないか」という懸念を抱かせた。この時の在ヨルダン日本大使館の山下さんの言葉が印象に残っている。「情報や何か新しいものを初めからシャットダウンしたら見えるものも見えなくなる。どうかものを拒まないで欲しい。なぜなら我々の努力を拒むことになるからだ。」メディアディスカッションを通じて、自分たちがこの会議を行う意味を自身に問いかけることができた。
 イスラエル会議でこのプレゼンテーションを行う以前、私たちはイスラエルのメディア実情は日本とさほど変わらないであろうと思っていた。しかし、彼らは日本ではアメリカよりも強固な記者クラブ制度が機能し、報道の自由がある程度阻まれていることに驚き、イスラエルの方が報道の自由は確立されているかもしれないとも示唆した。けれど、彼らの言葉の中には軍による情報の「管理」が存在した。軍は四六時中ラジオに不正な電波がないかなどを監視している。私から言わせれば、それも充分報道の自由を阻害しうるものである。しかし、彼らにしてみれば、軍は秩序管理をしているにすぎず、悪影響を及ぼしているわけではないという。「軍」という言葉を聞くとどうしても一歩引いてしまい、自分はやはり日本人であると感じる。ここでは政府、記者以外にメディアを語るときには、軍というアクターが必然的に出てくるのである。
  これまで見てきたように、各国報道の自由がそれぞれの国での解釈を通じた結果、
それぞれの国に深く根付いている問題点が見えてきた。当初の目的は、日本メディアの現実を知ってもらうためであったが、各国のメディアを巡る争点の在りかを私達が見つけ出せた点においても、非常に有意義な意見交換であった。



中東外交: 「中東から見た日本」 (小山剛)


  今回、ディスカショントピックとして「中東における日本外交政策」を選んだ理由は、いかに日本が中東諸国の人々から見られているか評価されているかが一番よくわかるからである。私たちはこのトピックで、イエメン・ヨルダン・イスラエルでディスカッションを行った。形式としては、まず日本の外交のイメージを聞き、外交政策についてプレゼンテーションをし、そして中東の学生への質問とディスカッションを行った。
① プレゼンテーションの内容
中東における日本の外交政策は石油政策と政府開発援助(ODA)である。しかし、今回のディスカッション相手国に主要な産油国がないことからODAについて説明した。まず、ODA大綱や憲法9条による平和外交など日本の外交方針とODAそして石油危機・湾岸戦争・イラク戦争など中東外交の歴史を説明し、イエメン・シリア・ヨルダンへのODAの支援を紹介し、イラク・アフガニスタン・パレスチナの緊急人道支援について説明した。
② イエメンとヨルダンの反応の違い
ヨルダンとイエメンでは、同じアラブ諸国でありながら多くの違いが見受けられた。
違いその一 ~ODAの認知度~
イエメンとヨルダンの最大の違いは、ODAの認知度である。両国の学生はメディアの宣伝不足のためにその国の一般の人々はあまりODAを知らないと発言していたが、両国の学生自身のODAに対する知識の差は大きかった。イエメンでは、ODAとは何かという基本的な質問もあったがヨルダンでは日本のODA で行っていることの詳細まで知っている学生もいた。特記すべきことは、ヨルダンでは日本国際協力機構(JICA)の日本語教室に通っている学生も参加していたが、イエメンでもJICAの青年海外協力隊の日本語教師から日本語を教わっている学生も参加していたにもかかわらず、特に日本のODAについて知っているわけではなかったということである。在ヨルダン大使館職員の山下氏によるとイエメンとヨルダンの差は、これまでどれぐらい長くODAをやってきたかに関係しているそうだ。
違いその二 ~レバノン・イスラエル問題への言及の量~
イエメンでは、ディスカッションにおいてODA以外にもレバノン問題・パレスチナ問題など自国以外の問題についての意見が多くあった。レバノン問題におけるイスラエルの不当性・一般民衆の犠牲・アメリカとイスラエルの関係などである。これらは、イスラエルと国境を接しているヨルダンよりも明らかに多く見られた。ただイエメンでは十分にODAについて議論できなかった分、他のことについてディスカッションする余裕があったことを割り引いて考えなければならない。そして意外であったことは、パレスチナ系がある程度の割合を占め今回の会議にもパレスチナ系学生が参加していたにもかかわらず、議論のパレスチナ問題・レバノン問題への脱線が少なかったことである。そして、イエメンの学生の方が特定の国を非難するような発言が多かった。ヨルダンでは、レバノン問題についての発言はなく、パレスチナ問題についても日本のあるべき関与の姿に議論は集中した。
共通点
一種の反米感情というか、アメリカの支援に対する否定的な評価は両国に存在した。人材開発支援を求める点も、先に述べたように知名度の低さの理由として宣伝不足を挙げる点も同じだった。そして何よりも、日本に対するイメージはよかったことが最大の共通点であった。それは、日本がまだアラブ世界に悪印象を与えてないことを意味している。
③ アラブとイスラエルの違い
イスラエルに対して日本政府は一銭もODAを供出しておらずディスカションは日本の外交的イメージとイスラエルの外交姿勢に終始した。ディスカッションの形式もグループディスカッションの形式をとった。アラブにおいて日本のイメージが車・技術科学などに集中していたのにたいし比較的、国際連合安全保障理事会常任理事国入り問題など外交問題についての知識がイスラエル側にはあった。靖国神社問題・教科書問題が周辺国をうろたえさせているという発言まであった。グループディスカッションでは、中国とイスラエルの関係・韓国とイスラエルの関係などパレスチナ問題とは関係のない議論も多くあったが、パレスチナ問題についてPLOは好きではないが交渉していかなければならないのような発言もありイエメンのような完全否定ではなかった。
④ まとめ
この会議は、外から見た日本を知る大きな機会であった。そしてこの会議を通してわかったことは、イスラエルにおいて日本の中東政策がアラブに偏りすぎという意見もあったが、日本に対する評価はどの国もよかった。それは、これまで日本はアラブにとっては石油貿易のお得意様、イスラエルにとってはアメリカという友達の友達といった程度の存在で、あまり中東問題に深く関わってこなかったからである。しかし現在、アフガニスタンでの武装解除・自衛隊イラク派遣・パレスチナ和平に関するいくつかの提言を日本政府は行っているまたは行っていた。深く関われば関わるほど、一つの政策が与える日本の地位の変化は大きくなる。そして、民主国家日本では実質はどうであれ国民の選挙での投票行動が次の日本の行動を決めることになっている。将来の中東における日本の評価は、日本の有権者の肩にかかっている。



文明の衝突: 「中東と宗教」 (松本足度)


 

> 初めに断らなくてはならないのが、表題についてである。「文明の衝突」となってはいるものの、現地中東で行った議題としては「日本人の宗教観」が正しい (イスラエルを除く)。これは当初、我々のグループが「文明の衝突」(ハンチントン著)に基づき、実際に西欧対イスラームという構図の文明間衝突は起こっているのかという議論をする予定であったことに起因する。ちょうど“預言者風刺画問題”(欧州のメディアがムハンマドの風刺画を掲載。各国のイスラム教徒から反発が生じた。これに対し、欧州諸国連合(EU)は「信教の自由は尊重されねばならないが、表現の自由も保障されなければならない」との声明を発表。一部で文明の衝突が表面化した一事例ではないか、との声があがった)が生じた時期と重なり、このムハンマド風刺画事件を軸に文明の衝突を考えようと試みた。しかし、その後奇しくもイスラエルとレバノン(ヒズブッラー)の間での紛争(戦争)発生により、ムスリムの対外国人感情の悪化やその他、中東からの留学生、研究者からのアドバイスを考慮し、急遽一般的日本人の宗教に対する考えを紹介するに留めることとなった。以下にその内容を列挙要約する。
 
 日本における宗教の位置づけは、アラブ諸国のそれとは大きく異なるものである。その一般的特徴は、
1.神仏習合に始まる多宗教の混在 
2.実質的無宗教者の高い割合 
3.行事を通してのみの宗教 
4.宗教に対する無関心、嫌悪感
等にまとめられる。これより、現代日本人は概して神という存在をいかなる形においても明確には意識していない。

 

  シリアでの反応は、ある程度予想に沿うものであった。すなわち、端的に言い表すのであれば、神の絶対性の主張である。彼らの思考は常に神に通ずるものであり、神抜きでは何も語れない。例えば政治の話をしていても、必ず“神の意思”を強調する。特に驚いたのは、第三次中東戦争でアラブ諸国はイスラエルに対し大敗を喫するのだが、その原因も彼らがクルアラーンの掟を忠実に守らなかったため、と考えているのである。当然の事ながら日本人の“八百万の神”、“万物に霊が宿る”といった観念は、彼らにとって「不思議」ではなく「おかしい」としか感じられないそうだ。
 ヨルダンという国は中東の中でも最も西欧化された国の一つであり、若者の姿を見るに世俗化も進んでいるように感じた。だが一度宗教論議を始めるとその熱意はシリアに勝るとも劣らないものであり、宗教以外のトピックでは極めて客観的な意見が多かっただけに衝撃を受けた。この国で指摘されたのは、宗教はいかなる宗教であっても否定されるべきではない、ということである。仮にそういった動きが世間にあるのであれば、非常に危険な兆候だと述べる者がいた。
 この二国の会議を通して共通していたのは、神への揺るぎない信頼と、その主張である。これは、ある種の“正しさの主張”であると理解できる。つまり、信仰の前提条件として神を疑うことを許容し得ないため、神に対しては一切の批判的思考が働かないのである。そして、日本人の(一神教信仰を持つ者にとってはいい加減に感じられる)多神教的、あるいはアニミズム的宗教観に対しては「人間としては尊重するが、正しいあり方ではない」とためらわず明言できるのだろう。
 イスラエルの学生は、神の存在自体を信じられないという意見が圧倒的多数を占めた。したがって、日本人の宗教観に関しても不信感を示すことがなく、かえって私は彼らの宗教に対する態度に違和感を感じざるをえなかった。なぜなら、彼らユダヤ人はユダヤ教徒としてパレスチナ地方に入植し、アラブ諸国と争いを繰り返しながらもその地に留まっているはずであるのに、神の存在にすら疑問を呈すのである。もちろん今回我々が交流した学生が特に宗教的にリベラルであることは頭に入れておかなければならないが、彼らの話によるとイスラエルの若者世代では脱宗教化の潮流が大きくなっていることは間違いなさそうだ。イスラエルにおける世俗化現象は、イスラエルはユダヤ人の国家であるとするイスラエル政府の見解に疑問を感じざるとともに、パレスチナ問題を考えるうえで政治に対する宗教の絡みが少なくなる可能性が高まり、問題がより単純化するので望ましいように思われた。
 中東会議に始めて参加して、我々日本人は特異な社会に生きていることを自覚させられた。ともすると我々は、共通の習慣や文化、価値観を持った狭い社会で暮らしているがゆえに、我々自身の慣習や思想が世界標準であり、普通であると錯覚してしまう。しかし一歩外の世界に出てみると、それがまったく誤っていたことに気づかされる。今回の中東での会議は、まさに良悪両面での日本人の特殊性を認識させてくれるものであり、私に世界に対する多面的な興味を植え付けてくれた。
 最後に大学4年間という限られた時間のなかで、このような貴重な機会を提供してくれた方々にお礼を述べたい。オマーン・イエメン・シリア・ヨルダン・イスラエル各国の現地学生は、会議準備のみならず、フィールドワーク等の活動ために多くの時間を割いてくれた。また在ヨルダン日本大使館の山下さん、中東研究家の遠藤さんに多くの援助を頂いた。そして中東学生会議の日本人メンバー。上級生には本当にお世話になった。特に会議責任者であった藤井代表は、当時の厳しい中東情勢において会議開催の可、不可を数少ない情報から判断しなくてはならず、大変だったと思う。藤井さんの努力と英断によって、今年も無事会議実施のはこびとなった。その他多くの方の尽力により、会議を円滑に行うことができた。この会議に関わってくれたすべての人に感謝します。

補足 中東での現地会議終了後、個人的なヨルダン人とメールのやり取りや日本でのヨルダン人招聘プログラム内で明らかになったのだが、現在ヨルダンでは無宗教者と名乗る若者が正確なパーセンテージはわからないものの相当数いるらしい。また、ヨルダン会議内では周囲をはばかり意見を述べなかった者も何名かおり、彼らは基本的にムスリムと自称するものの、宗教的関心は低いとの事。さらに会議参加者の一人は自らをムスリムと言いつつも、「ユダヤもキリストもイスラームも現代の世界には合っていない。今の世の中に合った新しい思想的な何かを人類は創造する必要がある」と発言した。実際のところはヨルダンにも世俗化の波がおしよせているよう

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会議参加者募集

Five Wings2008

社会人の公演や五つの様々な国際交流学生団体のブース展示。

日時:2008年4月27日13:00~18:00

場所:神奈川県横浜国立大学
主催団体:Free Bird、FIWC、日本ケニア学生会議、横浜中国人留学生会、日本中東学生会議(順不同)

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