今月は少しだけかたいお話になってしまうことをお許し下さいませ。
中東地域には紛争が絶えません。「イスラエル・パレスチナ抗争」は皆さんのよく聞くタームかもしれませんが、中東諸国の中でイスラエルという国家に対して不信感を持っている国は、他にも数多く存在しています。
私は3月の春休みを利用して中東のヨルダンという国を訪れました。(3回目)みなさんにあまり馴染みが無いであろうこの地には、石油こそあまり取れはしません。ですが、「インディジョーンズ」に登場するぺトラ遺跡や「アラビアのロレンス」でお馴染みのアカバといった港町から、大きなモールや高級レストラン、おしゃれなショッピングストリートも立ち並ぶようになった首都アンマンまで、さまざまな色彩を持った国です。
私自身、皆様に是非一度は行ってみて下さい!とお勧めしたい場所です。
ヨルダンは1967年の第3次中東戦争でイスラエルに大敗したアラブ側の一員でありながらも1979年のエジプトに続き、1994年にアラブ諸国の中で2番目にイスラエルと平和条約を結んだ国です。ただ、ヨルダンとイスラエルの間の溝は平和条約によって埋められるものではなかったようです。
この旅行の目的の一つに、「中東和平プロセスで活動する民間アクター」について関係者からお話を聞きたいという思いがあり、現地の日本大使館の方にご協力いただいたおかげで実現しました。つまり、もうずーっっと対立の絶えない中東で、草の根レベル又はNGOの活動がどのくらいあるのかを知りたかったわけです。この調査に至る動機のひとつには、自分のような一般人の持つ和平への気持ちとその影響力に希望を見出したかったのではないかと、今になって思います。
日本人である自分にも何かできないか?…そんな淡い期待を抱いていたのでしょう。
実際に非政府レベルでヨルダン、イスラエル、パレスチナの有識者と対話を続けてきた方々からお話を伺うと、現実はそう甘くはないの一言で終始してしまいました。
まず、こういった団体は平和に向けた取り組みの存在を一般市民に対して情報公開できません。なぜでしょうか?
これは中東諸国に限られたことではありませんが、いつの時代も最善であると考えられる政策と世論の間には大きな温度差があります。日本でも、世界一の債務を抱えていて、高齢社会がどんどん進んでいて、福祉の充実が叫ばれている状況の中、増税という言葉が政治家の口から出てくるのは不可避です。けれど、実際の世論は増税を支持するどころか「減税」を求める声がまだまだ多く、政治かも選挙前の支持率の低下を恐れて、なかなか踏み切れずにいます。
ヨルダンでもイスラエルとの和平を進めていくことは中東和平実現には欠かせません。水問題や安全保障問題、難民問題など乗り越えなければならない壁は無数にあるのです。しかしながら、世論は別です。平和条約締結後にイスラエルによってなされた、数々の侮辱行為、裏切り(具体的にはヨルダン観光業の妨害や水問題に関する取り決め違反など)から積もりに積もった反イスラエル感情は、一般市民の間に深く深く根付いています。
この市民との温度差はしばしば平和構築に携わる人々の命を脅かします。彼らは常に政情と地域の治安を第一に考えねばならないのです。イスラエル、パレスチナ両国の政治が不安定である今、彼らは活動を停止せざるをえないそうです。
政治が不安定なときこそ平和を求める気運が必要であるのに、何もできない。多くの市民に平和をもたらすため、和平を目指す人々が命を狙われる現実。
何かが間違っている―けれどこれが現実です。
みなさんは「平和」に何を想いますか?
(E.K 国際基督教大学3年)
2007年2月 【第8回】 中東と日本の距離
空間的距離のため、時間的距離ゆえに中東地域は日本で暮らす日本人には馴染みの薄いことは承知のとおりでしょう。日本では、アメリカにおける9.11同時多発テロ以降、にわかに注目を集めるようになった中東地域です。今回は紛争やテロ、複雑な政治といった小難しい話ではなく(当然それらは中東を知るには不可欠な要素ですが)、初めて中東諸国に足を踏み入れた一大学生が、現地で見て聞いて驚いたことを日本との関連から脈絡を気にせずに挙げてみたいと思います。
先日、テレビで某ハリウッドスターに日本人記者が質問をしていました。「日本と聞いてイメージするものは?」(だいたいおきまりですね)。案の定返ってきた答えが「美しい、テクノロジー、云々」といったものでした。では中東諸国における日本のイメージはどういったものなのでしょうか。ヨルダンでどこから来たのかと尋ねられ、「I’m Japanese」と答えると、指で目を吊り上げる仕草をされました。要は、日本人は目が細く狐のようだと言いたかったらしいのです。私自身は別段目が細いわけでもないので、思わずう~んとうなりたくなるジェスチャーに、はははとから笑いをするしかありませんでした。
いくつかのアラブ諸国では、ヨーロッパ・アメリカにあってだけではない、日本車の世界的な強さを目の当たりにしました。シリア、イエメン、ヨルダンの道路で走っている車は大多数が日本車です。これがUEA、オマーン、イスラエルとなると事情は少々変わるようです。前部三カ国で走る日本車は、御世辞にもきれいな中古車とはいえないものが多くあります。特にイエメンでは、中古車と言うよりも廃車が無理して走っているといっても差し支えないでしょう。窓ガラスがない車はいざ知らず、ドアのないトラックやボコボコボディーの乗用車がいたるところでいかれ気味のクラクションを鳴らしています。よくもこんな車に乗れたものだとイエメン人の勇気(?)に感服するよりも、日本車があのような無残な姿になってからも十分に走ることができる、その性能の高さに感激しました。ただし、ヨルダンは中所得国ということもあって、KIA や現代といった韓国製新車が都心部では目立ちました。聞いたところ、ヨルダンの若者は日本車が最高品質であることは知っているものの、値段が高く手が届かず、より安く性能もそこそこの韓国車を買うのだそうです。頑張れ日本メーカー!
最近では日本のアニメは世界的に人気がありますが、それはここ中東でも同じです。イエメンのポンコツテレビで流れていたのはなんとあのなつかしのスラムダンクです。イエメンに限らず、中東地域で放映されている日本アニメはちびまるこちゃんやキャプテン翼などがありますが、いずれも多くの子供を夢中にさせていると聞きました。我々学生会議は各国の日本語学習者とも交流を持つのですが、学習者男性の場合、学習動機は日本のアニメ由来であることが多々あります。もちろん中には「教授が日本語は難しいといったから」といって興味をもつチャレンジャーや、多くの女性のように伝統的な日本文化に引かれる場合もあります。しかし、なんといってもジャパニメーションの影響はあなどれないでしょう。ヨルダンでは“鋼の錬金術師”や“MONSTER”の話で盛り上がり、さらには日本でも深夜の埼玉放送やテレ東で放送されるような萌え系アニメ大好き青年がいたりと、大きな衝撃を受けました。ただひとつ気がかりなのは、中東では公共のテレビ放送にてアニメが流される一方、インターネット上で著作権を無視して日本アニメを視聴するものが相当数います。上記の一部‘ヲタ系’とみなされるアニメなどは当然中東一般の放送局では流していないので、ネット上で違法に閲覧しているのでしょう。
著作権無視と同様気にかかったことは、ごみの処理方法です。昨年度訪れたオマーン、イスラエルを除く四カ国では、どの国でもごみを捨てる際、分別をすることがありませんでした。というよりも、分別という概念自体存在せず、誰がどこにごみを捨てようとお構いなしだということです。オマーンは外国人労働者の職業としてゴミ回収が存在しているのですが、他のシリア、イエメン、ヨルダンにおいては自治体がごみを回収するシステムそのものがないようです。これから先、中東諸国では著作権やごみ問題は大きな課題となることでしょう。
中東アラブ国家ではサッカーがダントツ人気です。いたるところで子供たちがボールをける姿を見ることができます。人気がサッカーだけに集中してしまい、他のスポーツに対する関心は総じて低い。UAEの学生に日本がワールドベースボールクラシック初代王者であることを話しても、ふーんといった感じで大して興味をしめしません。現地で唯一会った野球好きのヨルダン人は「この国は何かあるとサッカー、サッカーと騒いで狂っている」、とたいそう嘆いていました。日本では幅広い層の人が多種多様なスポーツに興じることもあって、国民性の開きを感じました。
町を歩くと赤ん坊や子供の多さに驚かされます。そっちを見ても子供、あっちを見ても子供。アラブ人にとって子供は宝物です。たくさん子供を生むことが良しとされるアラブ社会では、少子化はいっこうに起こる気配がありません。一方日本に帰国して、ベビーカーを押して歩く母親の姿を目にした機会は5分の1程度でしょうか。いよいよ日本が人口減の時代に入ることを知り、危機感というよりは、とうとう来たかというある種諦めのような思いがしました。昨年、当団体にレクチャーしてくださったヨルダン大学助教授が日本の若者が子供を多くほしがらない現実に興味を抱いていたことを思い出し、彼が私たちに「子供欲しくないの?」と言った問いを改めて考えることとなりました。
個人的な経験から特に印象に残った事柄をつらつらと書き連ねたのでまとまりのない文章となりましたが、最後に一言。その距離ゆえに日本人が抱く中東のイメージと現実の乖離は仕方がないことかもしれません。人々の日常的な営みは平凡であるから日常であるのであって、それをメディアが取り上げることは戦争報道にくらべれば極端に少ないからです。しかし本当に私を中東にひきつけたものはその人々の日常であり、現地の人々にとっては特別驚くに値しない些細なこと、日本にいては感じることのできない中東独特の‘香り’でした。
(M.T 国際基督教大学1年)
2007年1月 【第七回】 新春の歌舞伎座に見る中東
先日、銀座まで新春大歌舞伎を見に行った。
新春の演目にはパターンがあって、その一つが獅子物である。
獅子物にはいくつか種類があるが、今年は鏡獅子だった。
鏡獅子といわれてピンと来る人は少ないかもしれない。
しかし、白くて長い鬘をつけた役者が頭をぐるぐる回す仕草は誰もが見覚えあるのではないだろうか。
そんな獅子物には、欠かせない脇役が二つある。胡蝶と牡丹である。
そもそも獅子物は、獅子が牡丹の木下で胡蝶と戯れる様子を踊りにしたものである。
鏡獅子では、中の巻で胡蝶の精が舞い、下の巻で舞台には紅白の牡丹の木が置かれ、獅子の精と胡蝶の精が一緒になって舞う形で3つのモチーフが表れる。(決して髪をぐるぐる回せるのがすごいだろうというのが主題ではない。)
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ところで、獅子が牡丹の木下で蝶と戯れる光景はどこからきたのだろうか。
蝶はその種によって生息地が違うのでなんともいえないが、広辞苑によると牡丹は中国原産で、獅子ことライオンはインドからアフリカに生息していたらしい。つまり、獅子物の光景は自然に見られたものではないということである。
では、この3つはどのようにして合わさったのだろうか。
牡丹は唐代以降「百花の王」として中国で珍重されてきた歴史がある。胡蝶の舞は韓国の作風を真似て日本で作られた舞踊とされている。
さて、肝心の獅子はどこからきたのだろう。
話は飛ぶが、法隆寺に四騎獅子狩文錦という織物が残されている。鼻の高い武人が四人で騎乗から獅子をいる文様の錦である。
どうやらこの錦は、ササン朝ペルシャの影響をうけて唐でつられたものが日本に伝来したらしい。
つまりペルシア原産のモチーフが日本に来る途中、その経由地である中国と韓国のモチーフと合わさって出来たのが獅子物なのである。
日本固有の芸能である歌舞伎が中東まで繋がっているとは、なかなか歌舞伎もワールドワイドな芸能である。
時代錯誤といえば錯誤であるが、あの頭の動きはスーフィーに通じるものがあるような気がしてくるのは私だけか。
参考
歌舞伎座Website http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2007/01/post_6.html
参照
広辞苑 第五版 新村出編 岩波書店 1998, 2005
獅子狩文錦 http://www.akai-nara.net/nikki/kire01/
Wikipedia
胡蝶 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6
牡丹 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A1%E4%B8%B9#.E7.B5.B5.E7.94.BB
(S.K 国際基督教大学2年)
2006年12月 【第六回】
シリア珍道中 後編
こんにちは。シリア珍道中、第2弾です。前回は見知らぬアラブ人男性2人に連れられ、バスで一路アレッポへと向かうことになったところまでをお話しました。今回はその続きの話です。
* * *
5時間ほどバスに揺られ、アレッポに着いたのが夜の11時過ぎ。電話をしたいのだがと言うと彼らは、彼らのうちの一人とその家族が暮らす家へと案内してくれました。10人ほどの家族に総出で迎えられ、電話を貸してもらい掛けるも、つながりません。これはどうしたことでしょう。実は私がただ単に掛け方を間違えていただけだったということが後で判明するのですが、そのときはそんなことわかりません。ただ頼みの綱だった電話がつながらないということで、すっかり困り果ててしまいました。彼らはアレッポにある1つ1つのホテルに電話をかけてメンバーが泊まっていないか探してくれましたが、見つけることができず、結局その晩はその家に泊めてもらうことになりました。
その時点で夜12時半ごろ。じゃあ寝るのかな、と思っていたら、それから夜の街へ出かけ観光名所を案内してくれ、2時くらいにレストランに行って豪勢な食事(夜ご飯だとのこと!) をとり、帰ってきたのが4時すぎ。しかも彼女たちのうちの1人は明日7時半から仕事があるということ!アラブ人は宵っ張りなのかしら、と思いきいてみたところ、あなたがいるからうれしくて、一生懸命もてなしたいだけで、いつもそんなに遅いというわけでないという答えが返ってきました。アラブ諸国に行って感じたことは、自分のことを後回しにしても人に親切にしてくれようとする人がとても多い、ということです。あまりに親切すぎて、自分のことはいいの?と心配になってしまうこともあります。
次の日の朝は9時過ぎに目覚め、朝から盛り沢山な朝食を振舞われました。昨日のうちに連絡をとってあった親類で、日本に住んでいたことがある人が訪ねてきてくれ、電話で(正しい掛け方をすればもちろんつながる)メンバーと連絡をとり、車でメンバーがいるアレッポ大学まで連れて行ってくれました。結局彼らは一銭もお金を受け取ろうとせず、友達に会えてよかったねと言って帰っていきました。メンバーも昨晩から必死になって私を探してくれていたそうで、大変申し訳ないことをしました。ごめんなさい。
* * *
さて、現地に行く前から、アラビア圏の人たちは親切な人が多いという話はきいていましたが、まさかこれほどまでとは思っていませんでした(実際に現地の人からみても、彼らはかなり親切の部類に入るそうです)。彼らには感謝してもし尽くせなく、私にとって彼らは、恩人であり、大事な友人であり、家族のような思いを感じる相手です。
中東に行く、または行った、という話をすると、周囲の人達から返ってくる反応は大抵、危ない!であり、それはもう慣れっこになっていた部分もあったのですが、「あっちの方って、腕時計とかをしていると手首を切ってまで取ろうとすると聞いたことがあるけど大丈夫だったの?」と言われたときは、びっくりしました。このときは思わず呆れる、というかおかしくなってしまい、いかに私たちが偏った情報の中で暮らしているかを思い知らされたのです。
もちろん中東に暮らす人々全てがその家族のように親切なわけではないだろう、という人もいるでしょう。そのとおりです。これは私がたまたま会った人がそうだったというだけで、この経験、または夏会議の中で触れた他の人々の暖かさをもって、これこそが本当の中東の姿だ、ということには少し違和感を覚えます。それらは中東の一部分であり、決して全てではありません。しかしそのことは同時に、私達日本人が抱きがちな中東に関する負のイメージ、そうしたことも中東の一部分でしかないということを意味すると思います。そうした地域が別々に存在するということではなく、厳しい状況と人々の温かさが共存するものである、ということです。
* * *
帰りの飛行機で隣の席に座ったシリア人男性と、日本人が持つ中東への先入観について話していたときのことです。あなたのような本当の私たちを知っている人達が、日本に帰って他の日本人に私達本当の姿を伝えてほしい。それはあなた達の使命だよと言われました。
私自身もそれが自分の義務であると思いますし、そうせずにはいられない気持ちがあります。それは、今まではただの興味の対象であった中東に実際に自分が入っていくことで、様々な人々が暮らし、生きているのだということを感じ、人々が持つ温かさを知ってしまったからです。そしてそうした活動を続けることが、親切にしてくれた彼らへ、自分が返せるせめてものことなのだと思うのです。
(S.I 国際基督教大学1年)
2006年11月 【第五回】シリア珍道中 前編
みなさんは、中東に暮らす人々はどんな人だと思いますか?現地のことは行ってみなければわからないといいますが、現地の人柄などというものはその主たるものだと思います。みなさんに少しでも中東の人々について知ってもらいたいと思い、今回と次回は夏に私がシリアで体験したエピソードをお伝えすることにしました。どうぞお付き合いくださいませ。
* * *
今回他のメンバーから半月ほど遅れて中東に向かった私は、シリアの首都ダマスカスから地方都市アレッポへ自力で向かい、先に会議を行っているメンバーと合流する必要がありました。その間、バスで換算して約5時間。自分はというと、中東には行ったことがなく、そもそも海外に一人で行くこと自体が初めてでした。しかもアラビア語もあいさつ程度しか話すことができません。まぁどうにかなるだろう、と鷹揚な気持ちで出発したはいいものの、現地では私の想像を超える出来事が山のように待っていたのです。
* * *
ダマスカスに到着し、なんとか空港から市街地へ向かうバスに乗ることに成功。しかしバスを降りたところでタクシーの呼び込みに取り囲まれ、さらにその中の一人に自分がダマスカスからアレッポへの交通手段にと考えていた飛行機がもう出てしまったときかされ(本当かどうかはわかりませんが)、今まで考えていたプランを変更する必要に迫られました。これは今日中にメンバーと合流できないかもしれない。これは今思うとそんなに大変な状況ではなかったなと思うのですが、そのときはもう余裕がありませんでしたから、ただでさえ不安なときにそんなことを告げられ、私は立ちすくんでしまいました。
どうしようかしら。本当に自分が思っていたよりもこれは大変なことだったのかもしれない。通りに目をやると、競うように疾走する自動車たち。その間を縫うようにして道を横断する人々。なにもかもが見たことのない世界です。道を1人で渡ることもできません。言葉が通じないということがこんなに不安なことだとは、思ってもみませんでした。
* * *
するとそのとき、見知らぬアラブ人男性2人が声をかけてきました。ジャパン?ときかれたのでジャパンジャパン、アレッポ?ときかれたので、アレッポアレッポ、と答えると、手招き。一緒に来いということ?こういうときはどうしたらよいのでしょうか。常識から考えてこれは危険なのではないでしょうか。あやしい人たちなのではないか、と疑いましたが、彼らは自分と同じ空港からのバスに乗っていたらしいこと、自分より大きな荷物を持っていたこと、一生懸命パスポートをみせて私に名前をわかってもらおうとしている姿に、少し警戒をゆるめ、ついていってみることにしました。
タクシーで移動し、チケット売り場でチケットを買い、バスに乗り込む。前述したとおり私はアラビア語がほとんど話せず、彼らも日本語と英語をほんの少し知っているというくらいだったので、私たちのコミュニケーションにはもっぱら身振り手ぶりが活躍しました。必死のコミュニケーションの結果、どうやら今自分が乗っているのはアレッポ行きのバスで、彼らは海外(日本?) 旅行帰りでアレッポにある家に帰る途中らしい、ということが、おぼろげながらわかってきました。アレッポに着いたら電話をかけてメンバーと合流したい、ということを彼らにアレッポ!フレンド!コール!とボディランゲージを駆使して伝えると、どうにかわかってもらえたようです。よかった。
彼らは見知らぬ私にとても親切にしてくれ、バスのチケットの手続きを全て行ってくれたばかりか、タクシー代やバス代を私が払おうとしても受け取ろうとしませんでした。これから自分がどうなるのか、無事にメンバーと合流できるのか、本当にこの人たちはいい人なのか、予定より遅くなってしまいそうだがどうやって宿を探そうか。どんどん暗くなっていく外の景色を眺めながら、不安は次から次へと沸いてきます。そんな私をよそに、バスは段々とアレッポへ近づいていくのでした。
* * *
この後アレッポに着きはしたもののメンバーの携帯電話がつながらず彼らの居場所がわからない、という事態が発生し、再び右往左往することになるのですが、それはまた後編でお話したいと思います。ではまた次回。
(S.I 国際基督教大学1年)
2006年6月 【第4回】 ベリーダンスを通して見る中東
ベリーダンスとは名前の通りベリー(腰)を使ったダンスで、中近東地域では盛んに踊られています。お腹を出したエキゾティックな衣装のセクシーなお姉さんのイメージや、実際に日本でも中東料理店やのショーなどでご覧になったことのある方も多いと思います。
でも、ベリーダンスは何もセクシーな衣装を着て人前で発表するものとは限りません。中東では誰かの結婚式や祭り等の場で日常的に踊られているダンスなのです。誰かに「魅せる」もの、ではなくて、自分達で「楽しむ」もの。そして、やはり程度の差こそあれイスラム教文化が濃い地域なので、女同士集まった場で盛り上がります。なぜ?って「too sexy to show to men」(あるシリア人女子学生)だからです。実際彼女にも踊ってもらいましたが、女の私でも、彼女の踊りのセクシーさにくらくらしました。
ここでは、私と、そんな素敵なベリーダンスと、中東学生会議について語りたいと思います。
私とベリーダンスの最初の出会いは、新潟県柏崎市にある、「柏崎トルコ村」で見た、トルコ人ダンサーによるベリーダンス・ショーでした。柏崎でトルコも衝撃でしたが(実物大のトロイの木馬もありました)、異国情緒溢れるベリーダンスにもかなり感銘を受けました。そして次の出会いは、また予期しない形で、高校の図書室でした。帰国子女が過半数の私の高校にはもちろん中東帰りの子もいて、現地でベリーダンスを習っていた彼女が披露してくれたのです。ベリーダンスが一気に身近な存在になりました。実際にベリーダンスレクチャーを受けたのは大学1年生の時です。ある団体の合宿会で1時間弱でしたが、ベリーダンスの基礎を教わりました。何が楽しいのか上手く説明できませんが、意識して曲線的な動きをすることが楽しかったです。それからかなり不定期ですが、大学近くの公民館やダンス・スタジオなどでレッスンを受け、益々上達を目指したくなりました。
そして季節は移り、中東学生会議が開催される夏休みに。会議前に観光で訪れたエジプト・カイロでは「世界ベリーダンスフェスティバル」を見物に行きました。会場にはベリーダンス用具の販売ブースが沢山あり、有名なダンサーによるショーやワークショップが開かれていました。そして次に訪れたレバノンでは、クラブで踊るレバノン人の女の子の腰使いはベリーダンス文化圏を感じさせるそれでした。シリアで学生会議が始まり、女子学生のお宅を訪問した時には、冒頭の台詞と共にセクシーダンスを披露してくれました。男の人がいる場で踊る場合、も見せてもらいましたが、やはり控えめでした。ベリーダンスは女の子同士で、何より「楽しむ」ものなんだ!と認識しました。会議ではなく、個人で観光したヨルダンのぺトラ遺跡あたりで放牧しているベドウィンの定住村を訪れた時は、丁度誰かの結婚式で、女パーティー会場ではベドウィンの女性達が、子供からおばあさんまで踊っていました。私も子供からぺトラ遺跡あたりの伝統ステップを教えてもらいました。そこにはベドウィンの人たちの生活に根付いた、飾らないベリーダンスの姿がありました。そしてイスラエル。砂漠で一晩キャンプをした時に、イスラエル人学生と踊ったのはやはりベリーダンスでした。トルコやアラブやムスリムだけではなく、汎中東文化としてのベリーダンスを実感しました。中東学生会議と中東旅行は、こんな風にベリーダンス面でも得ることが多く、忘れられない経験になりました。
最近はベリーダンスを習う人が増えているそうです。これからみなさんがベリーダンスに触れる機会も増えるものと思われます。拙い文章で素敵なベリーダンスの魅力がどれだけ伝えきれたかわかりませんが、ぜひ、機会があれば踊ってみてください。言葉でいくら頑張っても伝えきれない体験ができると思います。そして、ベリーダンスをきっかけに中東全般へ興味を広げて頂けたら幸いです。今回の学生会議とその前後の中東放浪、ベリーダンスだけを抜き出してみても「中東」の様々な側面が見聞できました。イスラムの価値観、ベドウィン、アラブ、ユダヤという分け方ではない汎中東文化。そして何よりベリーダンスは言語を越えたコミュニケーション・ツールに成り得ます。ベリーダンスから見る中東、いかかでしょうか。
(I.F. 国際基督教大学3年)
2006年5月 【第3回】 あなたと「中東」と、私と「中東」とあなたはいつ初めて「中東」に出会いましたか?
ありきたりですが、私が初めて「中東」という地域をしっかり認識するようになったのはやはり9.11の同時多発テロがきっかけでした。それまでは「中東」と言っても世界史で目にした事のあるオスマン・トルコ帝国くらいしか頭に浮かばず、特にこれと言ったイメージすら持っていませんでした。その頃はそれほど時事問題に関心があったわけでもないのですが、それでもよく「中東」という単語を聞くようになったし、この馴染みのない地域の映像を重ねて見るにつれ漠然とですがもっと知りたいと思うようになりました。しかし、かと言ってそれ程熱心に「中東」という地域について情報収集をしていたわけでもなく、機会がある度に「中東」に関する文献を読んだりする程度でした。
さて「中東」についてあなたはどれくらい知っていますか?
はっきり言って私はそんなに「中東」のことを知りません。
9.11の同時多発テロが起きた当時と今の私の知識量を比べれば、確かにある程度のイメージを持てるようになるくらいには成長しましたが、未だに「中東」という言葉にはなぜか違和感を感じます。「中東」と呼ばれる地域には10を超える国があります。人によって数え方もまちまちでしょう。そしておもしろいことに同じく「アラブ文化」に属するであろう国々が各々の特色を持って発展しています。それは政治のためでもあったり経済のためでもあったりします。よく宗教だけが引き合いに出されて「中東」と安易に呼んでしまいがちですが、「中東」とはやはりある特定の地域を指す名称に過ぎないのであって文化その他まで包括できる程万能の単語ではない、というのが去年の会議に参加した後の私の感想です。
そして、あなたと「中東」の間にはどれ程の距離がありますか?
私にとって「中東」はとても遠い存在です。
だってアメリカやオーストラリアに行くのと同等の距離です。太平洋を渡ってしまう距離です。アメリカやオーストラリアは飛行機の直行便があるだけましかも知れません。しかし同時に近い存在でもあります。まだ「中東」と一括してしまえる程複数の国に足を運んだわけではありませんが、少なくとも私が訪れた「中東」の国々にはとても親しみを感じます。それは一重にその地域に、それこそ言葉どおり「体当たり」してみたからです。それまで文献を通して頭で理解をするしかなかった物事を身体で感じ、理(わ)解(か) ることができます。もちろんそれでも解らないこともあります。解らないから私たちはまた足を運び会議を開くのです。むしろ全て解ってしまった方がつまらないでしょう。
私と「中東」の関係はざっとこんな感じです。
あなたと「中東」の関係はどんな感じですか?
(S.H. 国際基督教大学3年)
2006年4月 【第2回】 「私と中東との出会い -前代表回顧録-」
中東には、2回行った。シリア、ヨルダン、イスラエル、そしてパレスチナにて2004, 2005年度の日本中東学生会議の夏会議が行われた時だ。そもそも、なぜ私が中東に興味を持ったかというと、それは、高校の時、学校の先生がパレスチナ和平運動を行っており、その先生が主催している講演会に参加したことがきっかけだった。とはいっても、進んで参加したわけではない。初めは、受付を手伝ってほしいと言われ、渋々参加したのである。そして、その会場に講演者としてお招きしていた広河隆一氏との出会いが私の中東への入り口であった。その後、彼の著書も読み(私の全くの知識不足から、理解しがたい部分が多々あったが)、中東という地域に次第に目を向け始めるようになった。
大学に入学すると、大学内にある私の寮のルームメイトが、なんとイラクで「人間の盾」を行った方であった。話を聞くと本も出版しているという、日本中東学生会議のメンバーのひとりであった。彼との出会いが、「中東は地図では遠い場所にあるが、行こうと思えば行けるのだ」ということを私に実感させることとなった。また、そのとき、より中東が身近なものになったように感じた。こうして私は日本中東学生会議に参加することになったのである。
日本中東学生会議に入ってから驚いたのが、メンバーたちの「行動力」である。各国大使館と緊密な連絡に加え、著名人をお招きしての講演会企画。私は大きな刺激を受けた。
ところで「中東」と聞くと、日本人の大半はどのような反応をするだろうか。「危ない」と決まって第一声。2004年、中東へ向かおうとしている私に私の両親が言った言葉でもある。とりわけ、私を生んでくれた母親の反対は強かった。また、両親の反対にあい、中東に行く直前になって、渡航を諦めた友達をこれまで何人も見てきた。二回目の2005年は、8月の国際会議を目の前にしてロンドンでのテロ事件。これによりドロップアウト者が再度続出した。
確かに海外に行くのに100%安全という保証はない。それは、どの地域でもそうだ。それにその当時、中東の一部の地域が不安定であったことは事実である。しかしながら、それは中東全域ではない。
日本のメディアは中東で何か事件が起こった際、イラク、パレスチナ、そしてイスラエルなどの地域での死傷者が何人であるか、その部分だけを誇張しすぎる。確かに死傷者の数も、それらの地域の政情分析の一つのバロメーターとはなる。しかし一元的に悪い面だけに焦点を当てるのではなく、そもそも、その地域にどのような特色があるのか、それを経済、社会、そして文化の面から、良い面も含めた多岐に渡る側面から考えてもらいたいと思う。
今の私にとって中東へ一緒に行った仲間は、苦労をともにしたいわば「戦友」のような存在である。そんな一生の友達を作りたい方、自身の目で中東の状況を見てみたい方は、ぜひ日本中東学生会議へどうぞ!
(N.M. 国際基督教大学3年)
2006年3月 【第1回】 「中東の様々な『顔』」
皆さんは「中東」という言葉を聞いたとき、まず何が思い浮かぶでしょうか?
砂漠、ラクダ、石油、イスラム教、モスク、あるいは女性の着る真っ黒な外衣でしょうか?
昨今のイラクやパレスチナのニュースをよく耳にされる方は、もしかしたら、「中東はテロリストがはびこる危険な地域だ」という印象を抱かれているかもしれません。
しかし、それらの先入観はどれも一部が正しく、一部が間違っています。なぜなら、「中東」と一言でいっても、そこには十を超える国々、数億もの人々、そして様々な価値観が存在し、それらが互いに糸のように交わりながら、巨大な生活空間を形成しているからです。
その意味では、私たちの住む東アジアという地域も何ら変わりがないかもしれません。日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、モンゴル、ロシア・・・東アジアには実に様々な国と地域があり、それぞれが艶やかで美しい文化を持っています。
しかし、当然に存在する、そのような地域の「内部」の違いは、時に外側の人間にとって滑稽なほど不可視であることがあります。
皆さんは旅行や留学で海外を訪れられたとき、突然、「ニイハオ!」と呼び掛けられたり、目の前でジャッキー・チェーンの物真似をされたりして、呆気にとられたことはないでしょうか。
その土地の人々にとって、東アジアははるか遠い地域であり、その内部の決して小さくない差異や、それぞれの国の正しいかたちは、しばしば認識されないものなのです。これと全く同じことが私たち日本人の中東観にも言えます。
* * *
中東にも、石油が無尽蔵に湧き出る国、一滴も採ることが出来ない国、砂漠の広がる地域、緑が豊かな地域、アラビア語が話されている国、トルコ語・ペルシャ語が使われている国など、実に様々な場所が存在します。
イスラム教に関しても、毎日5回の礼拝を決して欠かさない敬虔なイスラム教徒から、日常的にお酒を飲む世俗的な人々まで、その信仰心の篤さは人それぞれであり、中には行き場のない憤りを抱えて、宗教の名を借りた暴力に訴える人々がいる一方で、そのような暴力を是としない良識ある人々も多くいます。少数派として暮らすキリスト教徒、ユダヤ教徒などの存在も忘れてはならないでしょう。
もちろん国のありかたも十人十色です。預言者ムハンマドの子孫が治める王国から、近代的な大統領と議会を持つ共和国、聖職者が強い権力を維持している神権国家、様々な勢力がひしめきあう群雄割拠のような国まで、中東の政治体制は万華鏡のように色鮮やかです。
そして若者の文化はここ数年の間で劇的に変化しつつあります。街にはインターネットカフェがあふれ、若者がゲームやチャットに熱中しています。ストリートには人とともに様々な音楽が溢れ、欧米のポップスやその影響を受けたアラブ・ポップがモスクからの礼拝を呼びかける声とともに聞こえてきます。宗教国家のイメージがあるイランでさえも、首都テヘランではEMINEMやBACK STREET BOYSのTシャツを着た若者がコカコーラを片手に歩く光景が見られるのです。
* * *
しかし、そのような中東の様々な「顔」が私達のお茶の間に伝えられることは、残念ながらそう多くありません。
メディアの形作る中東像とは、いつも「アメリカに敵対する危険な独裁者や宗教テロリストが跋扈する地域」というひどく一枚岩的なイメージです。もちろん、このことの背景には数十秒という短い時間、数十行という短いスペースの中に必要な情報を詰め込まなくてはいけないというニュースの限界があることも確かでしょう。しかし、それが結果として形作る日本人の中東認識と中東の現実との乖離には実に痛々しいものがあります。
私たちは、今こそニュースの語る「中東」が全てではないということに気づき、中東のもつ様々な「顔」に注目する必要があるのではないでしょうか。私たちが間違った日本人像を持たれてときに困惑するように、中東の人々にとっても現実を正しく投影していない中東像を外部の人間に形作られることは困りものなのです。
(M.Y. 東京大学3年)
