一メンバーによるはしたがき:彼と話して思ったこと・・・
ある夏の暑い日、Imad Ajami氏と食事することがあった。この時、彼と食事することは三度目である。メンバーの一人も同席した。彼としゃべりながらふと思った。彼の中にレバノンの黄金時代(紛争前)という心のよりどころがあるのではないか。いわゆる「自己同一性」とでもいうものであろうか。そして、それが失われるという不安も。
もちろん、紛争のない時代は、いい時代に間違いないのだが、彼が、その時代にこだわるのには理由がある。
彼は、フランスの大学で学び、アラブ的価値(とは何かと聞かれれば答えに窮するが今回は茶に濁す)だけでなくヨーロッパ的価値(同じく)を身につけた人間であり、(彼が言うには)当時のレバノンはヨーロッパを手本としていたからである。
そして現在は斜陽だという。
なぜならば、政府が他のアラブの国に支えられるがゆえに「遅れた」アラブの国の価値観を受け入れたから。政府は後退し、かつての自由なメディアは衰えつつある、と。
アラブでダントツに進んだ国という地位からの転落(彼はまだ進んだ国であるとはいうが)、そしてアラビア半島の反対側、湾岸地域の繁栄。この認識、どこかの国の自己認識にも似ている気がする。
それは、もちろん日本である。
アジアでダントツに進んだ国というのはもちろん、世界で一番の国になるとされたわが国は70年代に絶頂を向かえ、自分の生まれたころから失われた10年に突入する。日本は、ある程度の影響力こそ維持するものも、インドや中国など他のアジアの国が脚光を浴びるようになり、かつてほどの注目を失う。
両国は、これからどの道をすすむのだろうか。
もちろん、栄光の獲得の経路は正反対に違う。
レバノン近代史には詳しくないが、先ほども述べたように欧米のやり方を取り入れ、アラブの開かれた扉としてヨーロッパに評価され、レバノンの銀行はもちろんヨーロッパの銀行の進出によって潤ったレバノンに対し、
日本はヨーロッパ・アメリカのやり方を身につけつつも独自のやり方を編み出し、貿易摩擦などヨーロッパ・アメリカ諸国と時には衝突しながら成長した。そのモデルは、マハティールなど東南アジア諸国のナショナリズムの担い手のエリート達の喝采を浴びて広がっていったのに対し、
レバノンでは、アラブ諸国に「レバノン・モデル」として特別な模範になったわけではない。
しかしながら現在、両国はいわゆる「国柄論争」を含むような、大きな変革の波が押し寄せている。
第三国の新聞は、片方の変革のアクターを「テロリスト」と呼び、片方の変革のアクターを「タカ派」と呼んで非難するかも知れないが,支持するものにとっては救世主である。
「ヒズブアッラー」と「安倍晋三」である。
両者は「世俗政治」と「戦後レジーム」といったかつて国を支えたとされる権威に挑戦するという主張において、類似点がある(お互いが聞いたらおこるかもしれないが)
Imad Ajami氏は、「イスラームの名の下に殺人を犯す矛盾」として非難するだろうし、私の政治的立場として「戦後レジーム論」に対して否定的なコメントならば永遠に述べ続けれるかもしれないが、ここでは、あえて私個人の希望的観測を打ち上げてこの駄文を閉めようと思う。
二人の両国の精神的ふるさとは消え去るかもしれない、残念ながら。しかしながら、われらの精神的ふるさとの守られるべき宝が、来たる「新世界」においても、理由付けは違えども守られるべき宝として存在できるよう最大限の努力をすることはできるのではないか(「人権によって」から「神の名において」に変わるみたいな)。われわれが守り続けたのはそれだけの価値があったからなのだから。
(国際基督教大学 2年 K.T)